勇気を出して前に出ること。
その行動は必ず実を結ぶ。
それを松村香織自身が証明した。
2012年1月10日。
松村香織の運命の歯車が動き出す!
業務連絡。
2012年1月、ぐぐたすが始まって1ヶ月が経とうとしていた。
勢いのあるAKB48グループが参加し秋元康氏も投稿するなど、ぐぐたすは大いに盛り上がっていた。
1月10日、いつものように秋元康氏がぐぐたすを更新した。
13時16分。Google+
「業務連絡。
松村、ギャラリーかイベント会場、探して!
AKB画伯による個展をやるよ。」
この投稿はAKB48スタッフに対してのものである。
この投稿がきっかけで展覧会開催を目標とした美術部が創部し、ぐぐたすでメンバーによる部活動が始まることになる。松村香織もこの美術部に所属することになるが、それは後のことである。
秋元氏の投稿から3分後の13時19分。一人のメンバーがコメントする。
「了解しました 会場は都内でよろしいですか?」
秋元氏の投稿に応じたのはなんと松村香織であった。
当時、無名の一研究生がコメント欄に飛び込んできた。
もちろん秋元氏の言った「松村」とは松村香織のことではない。
しかし、松村香織はそこに反応した。
天然であったのか計算であったのか。
わずか17分後の13時36分に松村香織はぐぐたす に投稿する。
「秋元先生へ
秋葉原udx
KFC Hall Annex
h.a.c. gallery
ORANGE GALLERY
gallery egg
bricolage
リサーチ結果です
UDXが良いと思います!!!!!!」
松村香織のぐぐたすには「仕事早い!」のコメントで埋められていく。
そのなかで松村香織がコメントする。
「勘違いではないことを願うしか」
ここでようやく勘違いに気づいたのか。それともそれを装ったのか。
13時55分。秋元氏が松村香織のコメント欄に投稿する。
「偉い。その努力は、きっと報われる。」
秋元氏の最初の投稿から最後のコメントまでおよそ40分。
この出来事によって松村香織の名はAKB48グループに大きく知れ渡ることになる。
わずか40分。松村香織の運命が変わる瞬間であった。
上にいきたい!売れたい!
この出来事は偶然だったのか。
松村香織は、当時まったく仕事がなく、同期はほとんど昇格していて、かなり出遅れていた。まったく光は見えない。
それでも松村香織は常にチャンスをつかもうとしていた。
上にいきたい!売れたい!誰よりも強く願ってもがいていた。
2011年8月29日。SKE48はモバイルメールを開始する。
始まるやいなや松村香織はスタートダッシュを切る。
1日目は7通にとどまるが、2日目18通、3日目19通、4日目19通、5日目12通と1週間ほぼ二桁のメールを送り続けた。
少しでも自分を知ってもらいたいための行為である。
その後、メール数が規制されることになるほどであった。
松村香織はチャンスと見るや勇気を出して必死に勝負をし続けていた。
それでもなかなかうまく行かず、もがいても空回りしただけであった。
しかし、その努力を続けたことによって2012年1月10日にチャンスをつかむことになる。ぐぐたすにおいて多くの人に「見つかる」きっかけを作った。
前へ前へ、上へ上へ、その気持ちが自分自身の手でチャンスを作り出したのである。
松村香織はいま階段を上り始めた。
17歳と48ヶ月
しかし、それが後に大きく展開していくことを松村香織本人はいまだ知らない。
1月15日、17歳と48ヶ月の松村香織生誕祭が劇場で開催された。以下はそのときのブログ(1月27日)である。
「★:)生誕祭とお誕生日
15日の3回目[の公演]は
なんとかお-リさんの生誕祭でした」
「BGMが涙サプライズじゃなくて
誕生日の夜だったの
わたし誕生日の夜大好きなの!」
「マイメロちゃん特大ケーキもキャンディ形のお花も
メッセージカ-ドやクラスメイトとアンコールでのサイリウムなどなど
沢山沢山ありがとうございました!!」
「去年の1月17日にわたしは絶対に昇格してみせますって言いました
でも今現在も研究生です。悔しいしもどかしかった」
「しかし今は頑張るのみです!!
来年のお誕生日どうなってるか分からないけどわたしは悔いのない1年にしたい!」
そして、ブログに生誕祭のスピーチを全文掲載している。
「こんなに素敵な生誕祭をそして紫のサイリウムとお寿司カラーのサイリウム準備してくださり、振ってくださりありがとうございます。」
「去年私は生誕祭で、絶対に来年までには昇格してみせますと言いました。(今年の間違い)
でも今この舞台に立っているということは、まだそれが実現出来ていません。」
「本当に悔しいです。本当は。
まだでも自分の実力が無いから、今はまだ研究生のままなんだと自分では思っています。」
「一年間いろいろあって、チャンスはどうしたら来るのだろうと思っていた時期もあったんですけども、先日秋元先生からGoogle+の方でその努力はきっと報われると言葉を頂いて、もっともっと私は自分からチャンスを掴みにいかなきゃいけないと改めて思いました。」
「そして本当だったら紅組の選抜にももちろん入りたいんですけど、まだ入れていなくて、選抜への道は遠いです。
でも私はSKE48に選抜に入りたくて入ったわけじゃないので、私なりに頑張って自分の考えを貫き通して、上にいきたいと思いますのでみなさんどうかついて来てください。」
「今のこの研究生みんな5期生も含めて大好きなので、私は全員で昇格したいって思っています。これからもよろしくお願いします。
本当に本当にありがとうございます。来年こそは絶対に昇格してみせます。(今年の間違い)
ありがとうございました。」
松村香織はまだ知らない。
この年にAKB48選抜総選挙に初ランクインし、SKE48の選抜メンバーになることを。研究生生活がさらに3年続くことも。
このブログには続きがある。
「わたしはわたし
わたしはわたしででありたいから」
「個性を活かしてこれからも変わらずに進んでいきます」
「ぶれないあきらめないめげない
研究生最年長とか関係ないッ」
そして、少しずつ注目されてきたこのとき、さらに松村香織は動画「BBQ松村香織の今夜も1コメダ」を開始する。
ハヤシライス
2012年2月、ぐぐたすに出口陽さん(卒業生)がぐぐたすに写真とともに投稿する。
「BBQ松村特製ハヤシライス!!!あーーおいしかったご馳走さま」
これを引用して投稿したのが秋元康氏であった。
「業務連絡。
湯浅、丸山。
名古屋のサンシャインサカエビルで、BBQ松村特製ハヤシライスを食べられるようにしろ!
値段はできるだけ安く。利益はなくていい。
ぐぐたすでお馴染みのBBQ松村ハヤシライスを、みんなに試食して欲しいだけだから。」
「業務連絡。
AKBカフェの担当者。
BBQ松村のハヤシライス、島崎ママのブルーベリー生クリームサンドイッチ、鈴木ママの真夜中ラーメン、その他、ぐぐたすでお馴染みの料理を出そう。
俺もカレー、作ろうかな。」
メンバーによるカフェメニューの始まりである。
ぐぐたすによって、松村香織は瞬く間に知名度を上げていった。
こうした努力は3月1日の秋元康氏の投稿 につながる。
「すみません。木島が盛り上げてくださいというので、もったいぶってしまって…。
一人目は…………
松村香織。」
ぐぐたす選抜の発表である。
ぐぐたすが始まる前は、いや、始まってもなお単なるお騒がせなメンバーとしてしか見られていなかった。
しかし、そうであっても上へ上へと努力した結果、大きな実を結ぶ。
世界が大きく広がり光が差し込んだ。
勇気を出して前に出る。
「その努力は、きっと報われる。」
「変なプライドはいらない。成長できていないんだったら、考え方を変えたり、何かを崩したりしなきゃいけない。」
2018年10月23日 朝日新聞デジタル(SKE48のfor you)私なりの背中を見せられたら 松村香織
コラム は、有志の方々からの寄稿をもとに掲載しています。