終身名誉研究生の涙「研究生とか正規メンバーとかじゃなくて松村香織という人間」

会場は暗闇だった。

その中でステージが照らし出され、そこには一人のメンバーが立っていた。
彼女は観客席をゆっくり見回す。そして、マイクを握り直した。

「研究生集合!」

その掛け声とともに全グループ研究生が「はーい」と声を上げ集まってくる。

2013年6月5日、日本武道館。研究生コンサートのときである。
あのとき誰がこの光景を想像できた

だろうか。いつだって松村香織は想定外なのだ。

2012年の挫折

およそ10ヶ月前の2012年8月29日、SKE48劇場では改修前最終特別公演が行われていた。
アンコール後に湯浅劇場支配人から昇格発表があった。松村香織にとって2度目の昇格のチャンスであった。

2012年の松村香織は快進撃を続けていた。

ぐぐたす選抜、選抜総選挙34位ランクイン、週刊プレイボーイ「ぐぐたすの輪」の連載と動画配信、SKE48 10thシングル「キスだって左利き」で初の選抜メンバー入り。その勢いはとどまることを知らなかった。

 

しかし、そのときの昇格メンバーに松村香織の名前はなかった。

 

昇格した者と昇格を逃した者、その残酷な風景はいつも変わらない。

 

 

深夜、いつものように「1コメダ #気持ち 」がぐぐたすに投稿された。

動画は笑顔でいつもの挨拶で始まった。
しかし、言葉が続かない。そのとき、一筋の涙が頬を伝う。
それがきっかけとなって涙をもう止めることはできなくなった。

急なアンダーに対応できなかったこと、研究生としてすべきことができてなかったこと。昇格できなかった理由を挙げていく。

「今回のこの昇格できなかったのは私個人の頑張りが全然足りなかったってことなので、あの、ほんとにですね、総選挙だったり、そういう結果を、無駄にしてしまって、たくさん応援してくださったみなさま本当にごめんなさい」

 

そう言って頭を下げた。
劇場では強がって涙は見せなかった。しかし、どうしても本音がもれてしまう。

「ほんとにあんまり気にしてないふりをすごい、…、すごいしたんですけど、ほんとは、ほんとは、ほんとに悔しいです。」

 

「ファンの方に申し訳ない気持ちでいっぱいだし、年も年だし、そろそろなのかなと思ったりも、今日とかすごく思うんですけど、私はこれからも、…、首になるまでは続けたいと思います。首になったらそれはほんとに最後だと思うので、それまでは精一杯やっていきたいと思います。」

 

次にいつこのチャンスが来るだろうか。ただわかることは研究生として昇格を目指す日々がまだ続くということだけだった。

彼女の新しい道

翌年2013年4月、松村香織は新たな覚悟を決める。

4月13日、名古屋、日本ガイシホールでの春コン「変わらないこと。ずっと仲間なこと」。最後の曲紹介のときになって、芝劇場支配人がステージに登場した。

「2013年4月13日SKE48初となります組閣を行いたいと思います。」・・・「中西優香、チームS」

一人ずつ名前とチーム名が呼ばれる。同時に研究生からの昇格メンバーも振り分けられていく。

支配人は、最後の一人を読み終えた後、そのまま言葉を続けた。

 

「最後に、研究生松村香織ですが、本人から最年長研究生として研究生の星になりたいとの意向があり、新たな称号、SKE48終身名誉研究生に任命します。」

 

驚愕の人事であった。後に松村香織自身が語るように研究生は一通過点でしかない。しかし、その研究生を生涯続けるというのである。松村香織はその場で意気込みをファンに向けて話している。その全文掲載しよう。

 

「昇格を目標に研究生として入って3年半活動していて皆さんは私が昇格することに対しての応援を今までしていただいたんですけど、今回ですね、終身名誉研究生というとんでもない肩書をいただけるお話があり、私はですね、やっぱり私が昇格することが皆さんに対する恩返しではないのじゃないのかと思い、私はですね、この肩書を活かしてですね、私にしかできない、松村香織にしかできないドラマをこれから作っていきたいと思います。なので、皆さん、私だけじゃ作れないので、私はやっぱり、想定外の人間でこれからも48グループではありたいと思っているので、ドラマを作っていただけませんか?」

 

彼女はコンサートの中で終始笑顔であった。

 

しかし、その夜、ぐぐたす 1コメダ #165 にあがった彼女の姿はまったく別であった。始めからもうすでに目に涙をためていた。

 

「今回、終身名誉研究生という肩書、というか称号をいただくことになりました。」

 

「でも、私は昇格とかチームとかの枠にとらわれないで、私にしかできない道を、肩書、んー、研究生かもしれないけどこれから切り開いていきたいなと思います。」

 

「なんかいろいろ考えて、このポジションがおいしいとかそういうのではなくて、んー、今までにないことをしたいなというのがすごいあって、具体的に言ったら、うまくいえないんですけど、研究生じゃできないこともこれからもっとしていきたいし、逆にこの立場を生かしてチャンスに変えて結果を出していきたいと思っているし、いろいろ話して、大人の方と決めた結果なので、今までですね、応援してくださったみなさんには私のこの48グループでの生き方を理解していただきたいなと思います。」

 

激しい慟哭のなかでも語り続ける。

「こうやって注目を浴びてるということはね、やっぱり私は48グループでの想定外な人物でいたいので、なんか、研究生とか正規メンバーとかじゃなくて松村香織っていう人間を皆さんと作っていけたらいいなって思います。だから、私はとても前向きです。」

 

「いただいた称号というか肩書を背負って、SKEの研究生をこれからも引っ張っていきたいし、48グループのね、研究生のこともどんどん引っ張っていきたいし、自分でここまで道を切り開いてきたので、これからもどんどん切り開いていきたいと思います。もうなんかさ、何言っているのかわかんなくなっちゃった。」

 

「だから、私は頑張りたいんですSKE48で。アイドルとして、はい、頑張りたいです。だから、背中も押してほしいけどついてきてください。そして一緒に作り上げたいし巻きこんでいきたいので皆さんのことを。」

 

最後まで涙が止まることはなかった。

後に、松村香織は『松村香織的アイドルの愛し方 (SKE48シングル「12月のカンガルー」特典映像)』でこのときの状況を語っている。

 

「ガイシホールで発表された後、ぐぐたすとかで報告したら、もうなんか怒っている人たちがいっぱいで、そういうのも自分の中では予想してたんですけど、それをはるかに上回るぐらいきたから、あーやっぱ、これを選んでプラスにはできないのかなと思ったんですけど。」

 

誰にだって新しいことへの挑戦は不安である。それは松村香織だって例外ではない。しかし、松村香織の凄さはその覚悟にある。誰もが躊躇してしまいそうなことでもやってしまう。

 

「終身名誉研究生」

 

それは松村香織の信念であり、生き方である。
そして、松村香織はこの称号を得て新たなステージへと駆け上っていくのであった。


コラム は、有志の方々からの寄稿をもとに掲載しています。

このページを共有する